先日、わたしのために本を贈ってくれると言ってくれた大親友。
わたしが「ありがとうの言葉しか見つからないのがもどかしい」と言ったら、
「ありがとう以外の言葉で気持ちをあらわす宿題」を出してくれた。
その答え。
わたしのメッセージ。 



「円」という字を「まどか」と読むのだと初めて知ったのは、わたしの母子手帳にその字を見つけたとき。
丁寧に記載された排便や授乳の記録のなかに、「円」の字はあった。
母に尋ねると、「真美」の名前のほかに候補にあがった名前だという。 


だから、円ちゃんに初めて会ったときには、とても驚いた。
言い知れぬ縁を感じ、仲良くなりたいと思いました。 


そんな出会いから、もうじき20年。
わたしたちの間に結ばれた縁は、予感通り並みならぬ深いものになりましたね。 


まるで双生児のように、お互いが響きあい、感じあい、並走する二艘の小舟のように、
離れたり近づいたりしながら、この大海を生きてきたね。
そして、これからも生きていくんだね。 


貴女の存在をこの失ってしまう乳房の内側に熱く感じる。
そのぬくもりが、いずれ無くなるこの乳房を柔らかく守ってくれている。 


夜中、風呂場で身体を洗う。
左利きのわたしは、右側から洗い始めるのだけれど、
右手が左の乳房を洗うとき、毎夜毎夜、必ず涙が溢れ出す。
死期を覚悟した大切なひととの別れを惜しむように、そっと乳房を洗う。
丁寧に、丁寧に。 


そして、乳房に手を当てると、その奥に灯る貴女のあたたかさを感じる。 


いつか、貴女がなにかを失わなければならない困難にぶつかったとき、
わたしは全力をかけて、その失われるものの奥底に、わたしの貴女への想いを注ぎます。
貴女がしてくれたように。 


いつか来るかもしれない貴女の困難に、わたしのいまが支えになることを信じて、わたしは立ち向かいます。
貴女をいつもこの胸に感じながら。 



今日は、自身が乳癌と闘病した経験のある婦人科の先生のところへ話を聞きに行った。
わたしが思い描くよりも、乳癌との闘病は厳しい現実を教えられた。
「癌治療をしていたら、こどもを産める可能性は低い」と断言された。
帰ってきてから、思わず号泣してしまった。
もちろん、その先生の意見が全てじゃない。
まだまだ模索してみる。
いっぱい泣いたらすっきりした。
まだ前を向けてる。大丈夫だ。 



いまから、この答えを持って、大親友に会いにいく。
希望した素敵な詩集をもらいに。