今年も残りわずか。
多忙と心労でひどい体調。
からだとこころを休ませている今日。
にもかかわらず。
どうしても言いたいことがあって書く。


連日報道されている俳優さんのスキャンダラスなニュース。
わたしは、取り上げた雑誌を購買したくないので記事そのものは読んでいない。
端から端までニュースをチェックしたわけでもない。
だから、詳細をきちんと把握しているわけではない。


それでも言いたくなる。
事実を証明することだけが正しさなのだろうか。
「私に非はない」と発言できなければ疑われても仕方ないのだろうか。
支えてくれた人たちのために闘うことが当然なのだろうか。


真実は私にももちろんわからない。
ただ、身に覚えのないことを騒ぎ立てられること以上に、
他人に言わずにいたことを騒ぎ立てられることはさぞ辛いだろうと想像する。
言えずに苦しんでいたことだったならば、それが世間にさらされることは、
どれほど怖ろしく悲しく、絶望することだろう。


「生」や「性」にまつわることは慎重に接するというのは、
大人として当たり前の配慮じゃないか。
それらを笑い飛ばせるくらいの大らかさがあれば、
もちろん素晴らし
いことだけれど、
誰もがみんな同じじゃない。
大らかではないからこその深みや繊細さがあったりするじゃないか。

「ファンのためにもっと頑張って」なんて、
本人が一番それを望んでいるだろう。
誰よりもそうしたいだろう。
それが出来ないほどの苦しみがあるのだと、
わたしは思う。

それがどんなに正しいと頭で判っていても、
立ち向かえない絶望が、
この世界にはある。

わたしは彼のファンではないし、
特別注目していたわけでもないけれど、
表現活動に携わる端くれとして、
彼の俳優としての素晴らしい素質=「人間を分析し理解し表現する力」が、
彼の困難の支えになることを心から祈る。

たどり着くべき処まで確かに歩いていけることを、
そこで少しでも穏やかな気持ちで過ごせることを、
心から祈っている。